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横浜地方裁判所 昭和60年(ワ)1088号 判決

原告

謝輝雄

右訴訟代理人弁護士

森田明

千葉景子

被告

横浜市

右代表者市長

細郷道一

右訴訟代理人弁護士

塩田省吾

主文

一  原告の請求を棄却する。

二  訴訟費用は原告の負担とする。

事実

第一  当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  被告は、原告に対し、金一六〇〇万円及び内金一五〇〇万円に対する昭和五九年一月二日から、内金一〇〇万円に対する本件判決言渡しの日の翌日から各支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

2  訴訟費用は被告の負担とする。

3  仮執行宣言

二  請求の趣旨に対する答弁

主文と同旨

第二  当事者の主張

一  請求の原因

1  (当事者)

原告は、後記気管切開術中に呼吸停止を来たして植物人間状態となりその後死亡した訴外亡李麗娟(以下「李」という。)の夫である(原告及び李は共に中国国籍のため、正式の夫婦であるが姓は異なる。)。

被告は、横浜市南区浦舟町三丁目四六番地に横浜市立大学医学部病院(以下「市大病院」という。)を開設し、診療業務にあたらせているものであり、同病院耳鼻咽喉科には後記のとおり李に対し気管切開術等を施した玉虫医師、御手洗医師及び和田医師(以下、まとめて「玉虫医師ら」ということがある。)が医師として勤務していた。

2  (李の死亡に至るまでの経緯)

(一)(1) 李は、昭和五一年四月、市大病院耳鼻咽喉科で診察を受け、上咽頭腫瘍と診断され、同病院放射線科に約二か月間入院して放射線治療を受け、治癒した。しかし、その後再発し、軽快と増悪を繰り返すようになったので、李は、昭和五六年一〇月には再び同病院に入院し、翌五七年一月に退院するまで、放射線や薬物による治療を続け、退院後も週一回同病院に通院を続けて、投薬や注射による治療を受けていた。

(2) しかし、李は、長期間にわたる放射線治療のために気管支や食道を傷めており、昭和五八年四月ころには食事をするのに一時間近くかかるようになり、また同年五月ころからは呼吸をするのに喘鳴を発するようになり、痰もひどく出るようになった。

(3) そして、李は、昭和五八年六月に入るとのどの喘鳴がひどくなり、呼吸も苦しくなったので、同月八日の通院日に市大病院で診察を受け、胸部のレントゲン撮影をしたが、異常はないとの診断を受けた。しかし同月一一日に至って熱が三九度四分にまで上がり、その状態がしばらく続いたので、李は、同月一三日再び同病院で診察を受け、レントゲン撮影をしたところ、急性肺炎との診断を受け、そのまま入院を指示されたので、同日の正午までに入院手続をすませ、同病院に入った。

(二)(1) 李の担当医であった玉虫医師、御手洗医師及び和田医師は、李に対し、気管切開術を施行することを決め、李が入院した昭和五八年六月一三日の午後五時ころ、その旨を李及び原告に伝えた。その際の説明では、窒息を防ぐために気管切開術が必要であると言われ、危険性については告げられなかったので、李及び原告はこれを承諾した。李は、呼吸は苦しそうであったが、意識はしっかりしており、自ら病院内で身の回りの物を買いそろえるなどしていた。

(2) 李に対する気管切開術(以下「本件気管切開術」という。)は、手術室ではなく、病棟と同じフロアにある処置室(以下、単に「処置室」ということがある。)で施行されることになり、李は同日午後五時三〇分ころ、処置室に自分で歩いて入室した。そして、同日午後六時一四分に御手洗医師の執刀により気管切開が開始された。ところが、李は、長年の放射線照射により頸部の皮下の組織が線維化しており、気管切開には医師らが考えていたより時間がかかり、李は切開中に痰が絡み、呼吸停止の状態になり、血圧、脈拍も消失し、意識も失った。このような事態が生じてから、玉虫医師が御手洗医師に代わって執刀を続けるとともに、医師らは気管内挿管、人工呼吸及び気管内穿刺をも試みたが、挿管は困難であり、後二者も効を奏さず、更に気管切開を進めたところ、午後七時五分に気管開窓となったが、李の意識は回復せず、いわゆる植物人間状態に陥っていた。

(3) 本件手術終了後、李は、ICU(集中治療室)へ移され、その呼吸は回復したが、その後も意識は回復せず、寝たきりの状態で半年にわたり入院を続け、昭和五九年一月二日、呼吸不全により死亡するに至った(以下、まとめて「本件医療事故」ということがある。)。

3  (被告の責任)

(一) 人的物的準備不足の過失

(1) 注意義務の内容

李は、長年、市大病院において放射線照射の治療を受けていたから、その影響により本件気管切開術が困難な手術となることは、同病院の医師である玉虫医師らが予想し、または予想すべきであった。ところで、本件気管切開術は、一刻を争って施行し、気道確保を図らなければならないような緊急手術ではなく、いわゆる計画的気管切開術というべきものであった。また、市大病院は地域の中核的医療機関であり、しかも耳鼻咽喉科における高い医療水準を喧伝していた。

したがって、本件気管切開術を施行するにあたっては、医師らは十分な準備をなしたうえ、最善を尽くし、その持てる能力を最大限に発揮すべきであった。

(2) 処置室で施行した過失

右(1)の注意義務の内容から明らかなとおり、本件気管切開術は、当然手術室でおこなわれるべきものであったにもかかわらず、玉虫医師らはこれを怠り、処置室で施行した過失がある。処置室と手術室の差異は、①処置室には全身麻酔器がないこと、②処置室には酸素のセントラルパイピングが来ていないため酸素ボンベを使用すること、③処置室の方が照明器具の規模が小さいこと、④手術室の方が無菌操作が徹底していること、などであるが、玉虫医師らは、手術室が使用できない等の事情もないのに、前述のとおり安易に本件気管切開術を処置室で施行した結果、照明器具が小規模であるため李の線維化の進んだ組織の切開がより困難となり、また、手術途中で酸素が不足し、酸素ボンベを処置室内に運び込み、ボンベの切り換え作業も必要となったため、手術により長時間を要することとなり、李に悪影響を及ぼした。

(3) 器具等の準備不足の過失

また、玉虫医師らは、本件気管切開術を施行するにあたっては、術中に容態が急変した場合に備えて十分な準備を整えておくべきであったが、これを怠り、本件気管切開術施行中、李の容態が急変したころになってから、慌てて酸素ボンベ等の器具を処置室内に運び込んだり、応援の医師を呼んだりした過失がある。そして、その結果、玉虫医師らは、李の呼吸停止に十分対応することができなかったものである。

(4) 御手洗医師の執刀により開始した過失及び執刀医の交替時期を誤った過失

本件気管切開術は、三名の医師によって施行されたのであるが、そのうち気管切開術の経験が最も豊富であるのは、本件気管切開術のヘッドでもある玉虫医師である。本件気管切開術は、前述のとおり困難な手術であることが予想されたのであるから、患者である李に最善の治療を施そうとするなら、最も経験のある玉虫医師が執刀すべきであった。しかしながら、玉虫医師は経験の浅い御手洗医師に執刀させ、そのため、李の線維化した頸部皮下組織の剥離作業により長時間を要することとなり、李に悪影響を与えた。

また、仮に、御手洗医師の執刀により気管切開を開始したこと自体に過失がないとしても、気管切開を開始した時点で、頸部皮下組織の線維化により本件気管切開術が困難な手術であることが判明したのであるから、玉虫医師はその際速やかに御手洗医師と執刀を交替すべきであった。しかし、玉虫医師は安易にも御手洗医師の執刀で大丈夫と考えて、その執刀を続行させ、李に悪影響を与えた。

(二) 呼吸停止への対応を誤った過失

本件気管切開術は、李の頸部皮下組織の線維化のため、その剥離作業に長時間を要することとなり、手術開始から三〇分、あるいは四〇分を経た際、李は痰が絡んだことにより呼吸停止に陥っている。このような事態において医師らが採るべき手段は、引き続き切開を続けて、速やかに気管開窓に至って、開窓部より痰を吸引する他はない。しかるに、玉虫医師は、右の本来採るべき措置を怠り、李が呼吸停止に陥った際、気管切開術の進行を中止し、人工呼吸を試みたり、気管内挿管や気管穿刺を試みたりして、これら効を奏さない処置にいたずらに時間を費やし、気管開窓を遅らせた。そして、これにより、李の呼吸停止の状態を長引かせ、李の脳細胞に決定的な損傷を与え、最終的には李を死亡するに至らせたのである。

(三) 説明義務違反の過失

(1) 玉虫医師らは、本件気管切開術を施行するにあたって、李及び原告に対し、気管切開をすれば楽になるが、放置すれば危険であり、なるべく早く気管切開をした方がよい旨を説明し、その必要性のみを強調し、本件気管切開術の危険性については何らの説明もしなかった。

(2) 玉虫医師らの説明は、右のように、本件気管切開術の危険性についての説明を欠くものであり、李及び原告は、そのため本件手術を承諾したものである。したがって、右承諾は詐欺もしくは錯誤による承諾であり、無効といわざるをえない。このように、本件気管切開術は、李及び原告の承諾のない侵襲行為であって、違法といわざるをえず、玉虫医師らはこれによって生じた結果について責任を負うべきである。

また李及び原告は、本件気管切開術の危険性についての告知を受けていたならば、本件気管切開術の施行を承諾しなかったかもしれないのに、右危険性の告知がなされなかったため、本件気管切開術の施行を承諾せざるをえず、李の意識不明及び死亡という結果発生を回避する機会を与えられなかった。すなわち、手術の承諾の前提としての説明義務は、患者の自己決定権の適正な保障を目的とするものであるところ、李及び原告は、前記説明義務違反により、危険性のある本件気管切開術を受けるか否かを選択することもできず、結果発生を回避する機会を与えられなかったのであり、このような場合、玉虫医師らは発生した結果について責任を負うべきである。

(3) 仮に、李の意識不明と死亡という結果が不可避のものであったとしても、原告は、本件気管切開術の危険性について説明をしないという玉虫医師らの説明義務違反により、予期せざる悪い結果に突然直面させられたのであり、これによる原告の精神的ショックは強烈かつ深刻なものであった。このような点からも、玉虫医師らは説明義務違反の責任を負うべきである。

(四) 被告の責任

被告は、市大病院において、玉虫医師らを雇用している使用者であり、玉虫医師らの本件気管切開術等の診療行為は市大病院の業務の執行につきなされたものであるから、被告には、右不法行為による後記損害を賠償する責任がある。

4  (損害)

(一) 慰謝料

(1) 原告は昭和四八年五月一六日に李と結婚し、同五〇年一月一九日両名間に長男謝明光が生まれた。しかし、妻の李は、癌にかかり、同五一年から同五八年までの長期間にわたって、入退院を繰り返し、治療を続けてきたものであり、この間原告は李に限りない愛情を注いできた。それが突然、簡単な手術だと言われた本件気管切開術により、李は意識不明の状態となり、半年にわたる絶望的な入院を続け、徐々に衰弱していった末に、死亡するに至ったのであり、この間の原告の悲しみは筆舌に尽くしがたいものがある。このような原告の精神的苦痛を慰謝するには一五〇〇万円が相当である。なお、李は長期にわたり回復困難な疾病を病んできたものであるが、仮にそれにより李の死期が近かったとしても、そのことによって、人間の価値が変わるはずもなく、李の原疾病の重さは慰謝料の減額要素にはなりえない。

(2) また、仮に、本件気管切開術による李の意識不明及び死亡という結果が避けがたいものであったとしても、責任原因(三)(3)の説明義務違反により、突然予期せざる結果に直面させられた原告の深甚な精神的苦痛に照らし、その苦痛を慰謝するには一五〇〇万円が相当である。

(3) このように、いずれの構成によっても、慰謝料の額が一五〇〇万円を下回ることはない。

(二) 弁護士費用

原告は、医療過誤という事案の性質上、本件損害賠償請求につき弁護士に委任せざるをえず、報酬として一〇〇万円の支払いを約した。

5  よって、原告は、被告に対し、不法行為による損害賠償請求権に基づき、損害金一六〇〇万円及び内金一五〇〇万円に対する不法行為(結果発生)の日である昭和五九年一月二日から、内金一〇〇万円に対する本件判決言渡しの日の翌日から各支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払いを求める。

二  請求の原因に対する認否

1  請求の原因1項の事実は認める。

2  同2項(一)の事実はいずれも認める。

同2項(二)の事実のうち、本件気管切開術の施行を告げられた際、李の意識がしっかりしていたこと、李が処置室に自分で歩いて入室したこと、御手洗医師と玉虫医師の執刀の交替時期が李の呼吸停止、意識喪失の後であることは否認し、その余は認める。

3  同3項ないし5項は、いずれも争う。

三  被告の主張

1  本件の経緯

(一) (上咽頭腫瘍と放射線照射)

李は、昭和五一年四月ころから上咽頭腫瘍(上咽頭癌)を患い、そのため、同五八年六月一三日に市大病院に入院するまで、放射線、薬物療法を続けていた。上咽頭癌は他の咽頭部に転移しやすいので(ちなみに、李は入院時に癌が頸部に転移していた疑いがもたれていた。)、上咽頭のみならず頸部にも放射線を照射していたが、それにより李の頸部には浮腫が生じ、気道狭窄並びに皮膚やその皮下組織に障害が生じていた。

(二) (本件気管切開術の決定経過)

昭和五八年六月一三日、李は、発熱、喘鳴、呼吸困難を訴え、市大病院の診察を受け、打聴診などの臨床所見やレントゲン検査の結果、急性肺炎との診断を受けて、同日正午ころ同病院に入院した。

更に、ファイバースコープ検査によると上気道狭窄(放射線照射と肺炎によるものと推断される。)がみられ、かつ、血液検査並びにガス測定によると高い炭酸ガスの数値がみられたので(高炭酸ガス血症)、直ちに換気障害があると認められた。この状態は気管切開術の適応条件を満たしているので、玉虫医師らは、同日午後四時ころ、早急に気管切開術の施行を決め、李やその夫である原告の承諾を求めるべき連絡した。

このように、李は、血液中の炭酸ガスが多く、意識はしっかりしていたわけではなく、軽い傾眠状態にあったため、車椅子に乗せられて、処置室に運び込まれた。

玉虫医師らは、右のような状況下において李の気管切開を決定したのであるが、本件気管切開術は、一刻一秒を争うものではないにしても、その施行を決定したからには早急に施行しなければ手術の成功は期し難いので、これは準緊急手術というべきである。

(三) (気管切開術の方法)

気管切開術は、通常、患者を仰臥位とし、肩の下に枕を入れて前頸部を伸展させ、まず皮切し、皮下組織や筋層を剥離し、更に気管前壁の甲状腺を上方あるいは下方に剥離して排除または切断し、もって気管を露出させ、気管を切開して気管切開口を作成する。

その切開口にカニューレ(気管套管といい、気管切開を行った後、切開口の自然閉鎖を予防する。)を挿入し、それにより気道と外気を直接連絡させて換気の目的を遂げるものである。

(四) (本件気管切開術の施行経過)

右(二)記載の昭和五八年六月一三日午後六時ころ、玉虫医師らは、御手洗医師の執刀により本件気管切開術を開始したのであるが、李は長年の放射線照射によりその皮下の組織が線維化し、筋肉が極めて硬く、その剥離作業は著しく困難を極め、予想外に時間を要した。そのため、本件気管切開術開始と同時に実施していた経鼻による酸素供給のための酸素が不足し、術中、酸素を追加しなければならなかった(李の容態が急変してからあわてて酸素ボンベを取りに行ったものではない。)。

ところが、右剥離作業中、李が呼吸困難を訴え、御手洗医師から玉虫医師に執刀を交替したが、李は間もなく呼吸停止となった。そこで玉虫医師らは、直ちに人工呼吸をなし、かつ、この場合の緊急措置として、経口気管内挿管(喉頭鏡で喉頭を展開し、経口的に気管内にチューブを挿管する方法であり、これは手早く行えて、かつ侵襲の少ない方法なので、まず試みるべき措置とされている。)を試みたが、気道狭窄のため子供用チューブを用いても挿管できなかった。

しかし、気管切開術もかなり進行し、気管切開も間近いので、玉虫医師らは、心臓マッサージ、強心剤投与を行いつつ、気管切開術を早急に進め、間もなく気管の切開に至り、続いてカニューレを挿入し、かつ種々の呼吸回復法を試みたが、李は時々自発呼吸するのみで、完全に呼吸は回復しなかった。

(五) (李の呼吸停止の原因)

李は、本件気管切開術による気管の刺激による影響はもちろん、放射線治療と肺炎のため痰(粘膜の刺激による分泌物)が多量に発生しやすい状態にあり、しかも、その痰は肺内から声帯までの間に発生、貯溜しており、痰が絡み、喀痰不全となって、呼吸停止に陥ったものである。

そして、その痰は、前記のように気管内挿管が不能である以上、気管を早急に切開し、その切開口から吸引するしかなく、玉虫医師らは前記のように気管切開、カニューレ挿管を行い、痰を吸引したのであるが、李は、上咽頭癌による衰弱と相まって、ついに呼吸が回復するに至らなかったのである。

2  本件気管切開術施行の無過失

気管切開術は、身体のごく一部を五ないし六センチメートル切開する比較的簡単で安全な手術であるから、一般に処置室で行われるのが通例であり(緊急気管切開術は病床ベッドや外来診療室で行われることもある。)、そのため処置室には気管切開術を行うのに必要な設備器具は十分に整っている。本件気管切開術中の酸素ボンベの取り寄せも、酸素の不足が見込まれたので、追加を求めたものにすぎない。また、手術は無菌状態で行われなければならないことはもちろんであるが、処置室においても手術時の無菌操作が可能であり、常時無菌状態が確保されている手術室で行わなければならないということはない。更に、気管切開術は処置室で通常行われているから、処置室のある病棟に勤務する看護婦は気管切開術に立ち会うことが多く、気管切開術に熟練しており、気管切開術を処置室で行うことは、熟練した看護婦の介護が得られやすく、また、当該病院に勤務する医師の応援も得られやすいという利点がある。

そして、李の呼吸停止、死亡という本件事故は、医師の不足、処置室における細菌感染等により発生したものではないから、処置室において本件気管切開術を施行したことと本件事故との間には因果関係はない。

3  説明義務に関する無過失

本件気管切開術を担当した玉虫医師は、李及び原告に対し、李の病状として換気障害のあること、その治療方法として気管切開術を施行すること、李をこのまま放置すると呼吸停止さらには心停止により死に至る危険性があるので手術をする必要性のあること、当時の医学水準においては気管切開術は危険がないことなどを説明しており、何ら説明義務に欠けるところはない。

説明義務は、手術が生命身体に対する侵襲であり、患者の最も重要な利害にかかわるものであるから、生命等の危険を賭しても治療効果を期待して当該手術を受けるか否か、また、受けるとしてもいかなる医療施設でこれを受けるかについての患者の自己決定権を保証するためのものである。しかし、手術による死亡事故の発生が極めてまれなものであり、万一死亡につながる緊急事態が発生してもそれに適切に対応しうる設備と人員を擁する医療施設においてこれを施行しようとする場合には、現在の医学水準のもとに期待しうる応急の救命措置を享受しうるのであり、何ら患者の保護に欠けるところはないのであるから、生命等に対するごくまれな危険についてまで特に説明する義務まではないというべきである。そして、市大病院は神奈川県下の中核的医療機関の一つとして万一死亡事故につながる緊急事態が発生しても適切に対応しうる設備と人員を擁した医療機関であるから、本件気管切開術を施行するにあたって、万一のときは死亡につながる危険のありうることまでについては説明義務はないというべきである。

四  被告の主張に対する原告の認否

1  被告の主張1(一)の事実は認める。

2  同1(二)のうち、李が市大病院に入院した経緯及び気管切開術の施行について原告に連絡したことは認め、李の意識がしっかりしておらず軽い傾眠状態にあったこと及び李が車椅子に乗せられて処置室に運び込まれたことは否認し、本件気管切開術が準緊急手術である旨の主張は争い、その余の事実は不知。

3  同1(三)は認める。

4  同1(四)のうち、昭和五八年六月一三日に御手洗医師の執刀により本件気管切開術を開始したこと、本件気管切開術中に李が呼吸停止の状態に陥ったこと及び気管を切開してカニューレを挿入したことは認め、その余は不知。

5  同1(五)のうち、李が痰が絡んだことにより呼吸停止の状態に陥ったことは認め、その余は不知。

6  同2、3の主張は争う。

第三  証拠〈省略〉

理由

一当事者

原告が李の夫であること、被告が市大病院を開設して診療業務にあたらせていること、玉虫医師、御手洗医師及び和田医師が同病院に勤務する医師であることは当事者間に争いがない。

二本件気管切開術施行に至るまでの経緯

李が昭和五一年四月ころから上咽頭腫瘍(上咽頭癌)を患い、市大病院に入院を繰り返し、退院後も通院を続けて、放射線、薬物治療を続けていたこと、上咽頭癌は他の咽頭部にも転移しやすいため、市大病院においては上咽頭のみならず頸部にも放射線を照射して治療にあたっていたが、長期間の放射線治療により李の頸部には浮腫が生じ、気道狭窄並びに皮膚やその皮下組織の障害が生じていたこと、そうした障害により、李は日常生活においても、食事がしにくくなったり、呼吸時に喘鳴を発するなどするようになったこと、李は、昭和五八年六月に入ってのどの喘鳴、呼吸の苦しさがひどくなり、同月一一日からは発熱がひどくなったので、同月一三日、市大病院で診療を受け、打聴診などの臨床所見やレントゲン検査の結果、急性肺炎との診断を受け、同日正午ころ同病院に入院したことはいずれも当事者間に争いがない。

〈証拠〉によれば、李の肺炎は誤嚥が誘因となった細菌性の急性の肺炎であったこと、李の入院後、更にファイバースコープにより李の喉頭を検査したところ、放射線照射による影響及び肺炎による炎症と診断される浮腫のため上気道狭窄が認められ、肺炎による痰の貯溜が予想されたこと、そのうえ、血液検査及びガス測定によれば李の動脈血中の炭酸ガス濃度は六四、同酸素ガス濃度は47.7と高い炭酸ガスの数値がみられ、換気障害が認められたこと、李は炭酸ガス中毒の症状があり、軽い傾眠状態にあったこと、右の状態は気管切開術の適応にあったのみならず気管切開を行う以外に貯溜した痰を除く方法がなかったため、玉虫医師らは李に対する気管切開術の施行を決定したことが認められ、これを覆すに足りる証拠はない。

なお、原告本人尋問の結果中には当時、李の意識はしっかりしていた旨の供述部分があるが、前記傾眠状態とは、刺激を受けない状態で眠り込んでしまうような状態であり、刺激を受けて覚せいしていれば普段の意識状態と大きくは変わらないという状態をいうものであるところ、前記認定の李の動脈血中の炭酸ガス濃度に照らせば、原告本人尋問中の右供述は、たやすく措信し難い。

三本件気管切開術施行の経緯

同日午後五時ころ、玉虫医師らが原告に本件気管切開術の施行を伝えたこと、本件気管切開術が病棟と同じフロアにある処置室において施行されたこと、李は同日午後五時三〇分ころ処置室に入室し、午後六時一四分に御手洗医師の執刀により気管切開が開始されたこと、気管切開術は、通常、患者を仰臥位として、前頸部を伸展させ、皮切し、皮下組織や筋層を剥離し、気管前壁の甲状腺を上方あるいは下方に剥離して排除または切断し、気管前面を露出させて気管を切開し、気管切開口を作り、そこにカニューレを挿入するという手順で行われること、しかし、李は長年の放射線照射により頸部の皮下組織が線維化しており、その剥離作業は医師らが予想していたより時間がかかり、李は切開作業中、痰が絡み、呼吸停止状態に陥ったこと、玉虫医師らは、気管内挿管、気管内穿刺、人工呼吸等を試みたが、李の呼吸は回復しなかったこと、そして更に、気管切開を続けたところ、午後七時五分に気管開窓となったが、李の意識は回復しなかったこと、右手術後、李はICUへ移され、その呼吸は回復したが、意識は回復せず、半年にわたって入院を続け、昭和五九年一月二日、呼吸不全により死亡したことはいずれも当事者間に争いがない。

〈証拠〉を総合すれば、以下の事実が認められる。すなわち、

1  本件気管切開術は、李の全身状態も悪化しており、上気道狭窄等により気管内挿管による気道確保も困難であったため、局部麻酔により行われることになり、昭和五八年六月一三日午後六時一〇分、李に局部麻酔が施され、同一四分、切開が開始されたこと、本件気管切開術は、市大医学部助手の玉虫医師をチーフとして御手洗医師、和田医師の担当医三名及び看護婦一名により行われたが、李を仰臥位としたうえ、御手洗医師の執刀により開始され、ヘッドである玉虫医師がいわゆる前立ちと呼ばれるアシスタントを務め、右執刀を指導したこと、

2  気管切開術は、通常は気管開窓まで二〇分から三〇分位しかかからない簡単な手術であるが、本件気管切開術については、医師らは、放射線照射の影響による李の頸部皮下組織の線維化を考慮して、気管開窓までの所要時間を約三〇分位と予想していたこと、李の頸部は放射線照射の影響によりその皮下の組織は硬く、筋肉や甲状腺などが弾性を失って予想以上に線維化癒着が強く、組織の見分けがつけ難かったこと、そのためその剥離作業が極めて困難であり、剥離作業中に甲状腺を損傷して出血をおこすと、出血の量が多く、甲状腺の組織がもろく止血が困難なため、手術を進められなくなるので、右作業では組織を確認しながら慎重に手術を進める必要があったため、気管前面が容易に確認できず、右の予想以上に時間を要したこと、李は喉頭の部分にかなりの狭窄があり、また放射線治療及び肺炎の影響により、気管内の乾燥が強くて痰の粘稠度が高くてその量も多く、気管の繊毛運動が悪化し、全身状態も悪化していたため、痰が排出しにくい状態にあったこと、そして、手術時の仰臥位という姿勢とも相まって、李は、右手術中、喉頭、声帯付近に痰が絡まり、同四五分ころに呼吸困難を訴え、様呼吸をするようになり、玉虫医師が手術の万全を期して執刀を交替したが、同四八分ころには呼吸停止の状態に陥ったこと、玉虫医師らは応援の医師を呼ぶとともに、更に切開を続行したが気管開窓には至らず、同五〇分ころからは、緊急救急蘇生法として、玉虫医師が李に対し、約三〇秒位の間マウス・トウ・マウスによる人工呼吸を行って、アンビュ・バッグによる人工呼吸に引き継ぎ、気管切開を続行したこと、和田医師が気道確保のため子供用の細い気管内挿管チューブを用いて気管内挿管を試み、その際、気管切開を続けていた玉虫医師が一時的に数十秒間切開の手を止めたが、気管内挿管は李の開口障害、上気道狭窄のためできなかったこと、玉虫医師は更に気管切開を進め、通気のためというよりむしろ気管の位置を確認するため、数回、気管内穿刺を行ったこと、また、その間、アドレナリン、重炭酸ソーダ等の薬剤投与、心電図モニター装着が行われ、応援の医師、看護婦らによる心マッサージが行われたこと、そして、玉虫医師が気管切開を続けた結果、同日午後七時五分に気管開窓となり、カニューレが挿入され、痰の吸引が行われたが、李の呼吸は直ちには回復しなかったこと、本件気管切開術は、結局約五〇分を要したが、前半の三〇分位は御手洗医師、後半の二〇分位は玉虫医師が執刀したこと、

以上の事実が認められ、これを覆すに足りる証拠はない。

なお、診療録である乙第四号証の二には李が呼吸困難を訴えた時刻が一八時五五分であり、呼吸停止の状態となった時刻が同五八分である旨の記載があり、看護記録である乙第六号証の二には呼吸困難を訴えた時刻が一八時四五分であり、呼吸停止となった時刻が同四八分である旨の記載があるが、玉虫証人の証言によれば、右診療録は本件気管切開術終了後に御手洗医師らが李の手術後の回復状態を考慮しつつ、記憶をたどりながら記載したものであり、右看護記録は看護婦が手術の経過に関して所々で時計等を確認して簡単なメモを残し、手術後これをもとに前後関係等を考慮して記載するものであることが認められるから、時間の経過の記載に関しては、看護記録の記載の方がより正確であるというべきであり、右看護記録記載の時刻が李の呼吸困難及び呼吸停止の時刻と認められる。

四医師らの過失の有無

1  原告は、困難が予想される本件気管切開術のような手術は原則として手術室において施行されるべきものであり、手術室が使用できないなどの事情がないのに、本件気管切開術を安易に処置室で行ったことは非難を免れないし、また本件気管切開術の準備が不十分であった旨を主張するが、処置室において手術を行うことが医学上直ちに不相当であるということはできないから、本件気管切開術を手術室で行わなかったこと自体に当然過失があったとすることはできず、むしろ、処置室の設備及びその事前準備等が本件気管切開術を行うに必要十分なものであるか否かを検討したうえ、それらが本件気管切開術の結果に具体的にどのような影響を及ぼしたのかを考慮して、玉虫医師らの過失の有無及び結果発生との因果関係の有無を判断すべきものである。

そこで、処置室の設備及び事前準備についてみるに、昭和六〇年一〇月一六日に処置室を撮影した写真であることに争いがない乙第一一号証及び証人玉虫昇の証言によれば、市大病院においては気管切開術は通常処置室において施行されていること、そのため、処置室には気管切開術を行うために必要な器材はもちろん、術中に呼吸困難等が起きた場合に対応するため、気管内挿管の準備の道具一式、二〇リットルの酸素ボンベ一本、人工呼吸用のアンビュ・バッグ及び緊急用の薬剤一通りが入った医療緊急カートが準備されていること、本件気管切開術が行われた当日は、それとは別に移動用の車の付いた酸素ボンベ一本が用意されていたこと、また、処置室に隣接する看護婦詰所の前には酸素ボンベが保管されており、これを処置室に搬入するには三〇秒もあれば十分であること、手術室と処置室とでは、設備面においては、処置室には全身麻酔器がなく、酸素のセントラル・パイピングが来ていないため酸素を用いるときは酸素ボンベを使用しなければならず、また、照明の規模が手術室よりは小さいという差異があり、また、無菌操作の面では、手術室の方が処置室よりも徹底しているが、人員の面では処置室と手術室とに差異はなく、むしろ処置室の方が、近くに耳鼻科の医師が待機している記録室があり、応援の医師を手配しやすいことが認められ、これに反する証拠はない。

そして、本件気管切開術は、李の全身状態の悪化及び上気道狭窄により全身麻酔が困難で、局部麻酔により施行されることになったこと及び李は既に細菌性の肺炎に罹患していたことは前記認定のとおりであり、処置室の照明の規模が手術室より小さいこと及び酸素の供給に酸素ボンベを用いたことにより、李の気管切開により長時間を要することになったと認めるに足りる証拠はない(なお、原告本人尋問の結果及び弁論の全趣旨によれば、本件気管切開術施行中に処置室に酸素ボンベが運び込まれたことが窺われるが、この一事をもって、処置室の設備が本件気管切開術を行うに不十分なものであり、また、本件気管切開術の事前準備が不十分なものであったものとまでは認めることができない。)。

以上の事実によれば、処置室の設備は本件気管切開術を行うに必要かつ十分なものであったというべきであり、その準備も術中の緊急事態に対応しうるものであったということができる。また、本件医療事故は手術室と処置室の設備等の差異によって生じたものではないこと及び処置室に準備されていた備品、薬剤等は李の呼吸停止後の緊急蘇生法を行うに十分であったことも明らかである。

したがって、原告の前記主張は採用することができない。

2  また、原告は、困難が予想される本件気管切開術を御手洗医師の執刀により開始した点あるいは李の頸部皮下組織の線維化癒着等が明らかになった時点で玉虫医師に執刀を交替しなかった点に過失があった旨主張するので、この点につき判断する。

証人玉虫昇の証言によれば、玉虫医師らは、本件気管切開術が放射線照射治療等の影響で困難なものとなることはある程度予想していたこと、李の頸部皮下組織の線維化は切開前の予想よりはるかに強いものであったこと、李の担当医である三名の医師のうち、チーフの玉虫医師が約四〇例位の気管切開術の経験を有し、最も経験が豊富であったこと、一方、御手洗医師も気管切開術の経験は約一〇例ほどあり、昭和五五年に医師となってから市大病院において専門的な訓練を受けていることが認められるところ、玉虫医師が執刀していれば本件医療事故が回避されたであろうと認めるに足りる証拠はない。また、御手洗医師が本件気管切開術の執刀を担当するだけの適性がないほど技量が未熟であるとまで認めるに足りる証拠はなく、本件気管切開術の所要時間が当初の予想よりも長くなったのは、李の頸部の皮下組織が硬く、線維化癒着が強く、組織の見分けがつけ難く、その剥離作業も極めて困難であったため特に慎重に手術を進める必要があったためであり、しかも、玉虫医師が交替後、気管開窓までの所要時間が、通常の気管切開の所要時間と同程度の約二〇分を要していることは前記認定のとおりであり、御手洗医師の執刀自体に誤りがあったと認めるに足りる証拠もない。そして、前記認定のとおり李の手術は、チーフである玉虫医師と御手洗医師及び和田医師の三名の医師が相協力して行ったものであるところ、右手術前の検査は御手洗医師が中心となって行っていたこと、玉虫医師は本件気管切開術の責任者として本件気管切開術に立ち会い、前立ちといわれるアシスタントを務めていたことに照らせば、御手洗医師をして本件気管切開術の執刀を行わせた点は何ら非難されるべきいわれがないものというべきである。

したがって、この点についての原告の主張は理由がないといわざるをえない。

3  更に、原告は、玉虫医師らに李の呼吸停止に対する対応を誤った本件気管切開術施行上の過失がある旨主張するので、この点について判断する。

患者が急に呼吸停止に陥った際、医師としてはまず気道の確保、呼吸の維持を図るべく、救急蘇生法を講ずるべきであるところ、李に呼吸停止に対する救急蘇生法として、玉虫医師が李に対し、約三〇秒位の間マウス・トウ・マウスによる人工呼吸を行って、アンビュ・バッグによる人工呼吸に引き継ぎ、気管切開を続行したこと、和田医師が気道確保のため子供用の細い気管内挿管チューブを用いて気管内挿管を試み、その際、気管切開を続けていた玉虫医師が一時的に数十秒間切開の手を止めたが、気管内挿管は李の開口障害、上気道狭窄のためできなかったこと、玉虫医師は更に気管切開を進め、通気のためというよりむしろ気管の位置を確認するため、数回、気管内穿刺を行ったことは前記認定のとおりである。

原告は、痰が絡まったことによる李の呼吸停止に対する措置としては、玉虫医師らの採った措置はいずれも効を奏さないものであり、右呼吸停止の場合における気道確保の方法は気管切開を速やかに続行して、切開口より痰を吸引するほかありえず、とりわけ、気管内挿管については、麻酔方式決定の際、実施困難との判断がなされているのであるから、呼吸停止の際、再度これを試みて、気管切開を遅らせるべきではない旨主張する。

しかしながら、人工呼吸については、呼吸停止に対する救急蘇生法としてまず試みるべき措置であるというべきで、李の呼吸停止の際においても、人工呼吸を施したことが全く効果がなかったとまではいえないのであって、仮に、効果がないとしても、玉虫医師らが呼吸停止の時点でこれを予見することはできなかったというべきである。そして、玉虫医師が右人工呼吸を施すために気管切開の手を止めた時間が三〇秒程にすぎないことを考慮すれば、右人工呼吸を施した措置をもって、医師としての注意義務に違反し、呼吸停止に対する対応を誤ったものとは未だいえないというべきである。

また、気管内挿管を試みた点についてみるに、なるほど、麻酔方法決定の際、李の開口障害、上気道狭窄により気管内挿管が困難である旨の判断がなされていることは前記認定のとおりであるが、証人玉虫昇の証言によれば、麻酔方法決定の際の気管内挿管は、麻酔ガスを送るため十分な太さの挿管チューブによって行う必要があり、また、麻酔前の挿管であるため、挿管による李の苦痛等も考慮しなければならなかったので、切開前の気管内挿管は困難であると判断したことが認められるところ、李の呼吸停止という緊急事態においては、李の苦痛等の考慮より、ともかく気道の確保が最優先されるのであるから、麻酔方法決定の際に考慮していた挿管チューブよりも細い子供用の挿管チューブによって気管内挿管を試みることは、意義のあることというべきであり、結果的にそれができなかったという一事をもって、気管内挿管ができないことが明らかであったということはできないのであって、前記認定事実のもとでは、玉虫医師らは、右気管内挿管が不可能であることを予見できなかったというべきである。そして、右気管内挿管のために気管切開の作業を中断した時間がわずか数十秒にすぎず、挿管が成功した場合の効果が極めて大きいことに照らせば、玉虫医師らが救急蘇生法として気管内挿管を試みた点に過失があったということはできない。

更に、気管内穿刺についても、右気管内穿刺が、気管内に注射針を入れて少しでも空気を送り込むという目的もさることながら、むしろ、気管切開を進めるため気管の位置を確認するという目的でなされたものであり、これに要した時間がわずか数秒にすぎないことを考慮すれば、これをもって医師として不相当な措置を採ったということはできず、この点についても、玉虫医師らに過失はない。

したがって、これらの点についての原告の主張はいずれも理由がないといわざるをえない。

以上によれば、玉虫医師らに本件気管切開術施行上の過失があったとは認められず、原告の前記主張はいずれも採用することができない。

4  更に、原告は、玉虫医師らに説明義務違反の過失がある旨主張するので、この点について、判断する。

〈証拠〉を総合すれば、以下の事実が認められる。すなわち、

原告は昭和五八年六月一〇日ころ、横浜市の港南台において開業していた朝倉医師の診断を受け、気管切開をすると楽になるといわれ、市大病院での手術を勧められ、同病院を訪れるに至ったものであること、玉虫医師らは、本件気管切開術の施行を決定した昭和五八年六月一三日午後四時ころ、李本人にその旨を伝え、原告に電話連絡したこと、李は、気管切開をすることにより呼吸が楽になることを説明され、これを納得したこと、原告に対しては、同五時ころ、李の肺炎の状態や気道狭窄の状態が思った以上に悪く、放置すると窒息等の危険があるので、早急に気管切開術をしたほうがよい旨の説明がなされたこと、李及び原告は右説明により、気管切開術の施行を承諾したこと、原告は、右説明により、気管切開術が気管を切り開く手術であることを理解していたこと、気管切開術自体は通常生命にかかわる危険性を伴うものではなく、手術としては比較的安全で簡単な部類に属する手術であること、気管切開術中に生命に影響を及ぼすような事態が起きうるとしても、それはむしろ気管切開術の危険性というよりは、気管切開術の適応となった原疾患自体の問題といえること、約四〇例程の気管切開術の経験を持つ玉虫医師も術中に呼吸困難が生じた事例は二例程の経験があるのみで、その事例も一時的な呼吸困難が生じたのみで、呼吸停止にまで至っていないこと、玉虫医師は、李が長年の放射線治療の影響等により、気管切開術中に呼吸困難を訴える可能性を考えてはいたが、本件気管切開術中に李が呼吸停止、意識喪失に至るような事態は予想していなかったこと、一方、一般に気管切開術の適応が考えられた場合には、緊急事態となる前にできるだけ早期に手術に踏み切るべきであると考えられており、上気道狭窄があり、肺炎等による粘稠度の高い多量の痰の貯溜が予想される李に対し、気管切開術を施行しないでこれを放置するとその傾眠状態が一層悪化し、場合によっては窒息等による死亡の危険も考えられたこと、右窒息等が生じてから気管切開に着手したのでは手遅れとなるので、かかる危険を未然に防止するためには早急に気管切開術を行うことが最も適切な措置であり、しかも痰を除去し、窒息を防止するための抜本的措置であったこと、そこで、玉虫医師らとしては原告らに対し、本件気管切開術中に痰が貯溜して窒息する危険性があるかもしれない等ということについてまでは説明しなかったこと、

以上の事実が認められ、これを覆すに足りる証拠はない。

原告は、玉虫医師らは、本件気管切開術の必要性のみを強調し、手術の危険性につき説明をしなかったのであるから、李及び原告の手術に対する承諾は無効であり、本件気管切開術は違法な身体に対する侵襲行為であり、また、李らの自己決定権を侵害するものである旨主張する。

確かに手術の承諾の前提としての医師の説明義務は、身体的な侵襲に対する患者の自己決定権の適正な行使を保障することを目的としており、患者が手術による危険とそれによる治療効果を考慮して、手術を受けるか否か、受けるとしてもどのような医療施設でこれを受けるかを判断する材料を与えるためのものといえる。しかしながら、気管切開術それ自体は死亡事故等の発生をもたらす可能性が極めて少ない手術であり、まれに気管切開術中に死亡事故等の重篤な事故の発生があるとしても、それは手術自体の危険性というよりは気管切開術の適応となった原疾患を主因とするものがほとんどであること、しかも反対に、李の場合にはできるだけ早急に右手術をすることが最も適切かつ抜本的な医療措置であったこと、そして、市大病院はその人的、物的設備において、気管切開術はもちろん、万一術中に緊急事態が発生しても現在の医学水準上期待しうる緊急措置を採るなど、これに十分対処しうる医療施設といいうることは前記認定のとおりであるうえ、前記認定の事情のもとでは、玉虫医師らが、痰が喉頭内等に貯溜することを防止するための手術中に右貯溜によって窒息するに至ることまでを想定するのは無意味な背理であったと認められることに照らせば、術中の右窒息に伴なう危険性について、医師が説明をしなかったからといって、これをもって説明義務違反があるとまではいうことができない。すなわち、手術をしない場合の危険の蓋然性が極めて高く、反対に手術をすることにより治療ないし救命の可能性が生まれるという場合において、しかも手術をすること自体によって危険が増進する懸念はほとんどこれを無視し得るというときには、原疾患による危険性と手術の必要性だけを説明することにもそれなりの合理性があり、右以外の点を十二分に説明しなかったからといって直ちに違法ということはできないと解するのが相当である。このようにいうことは、場合によっては原告に対し、その主張のようにいささか予想外の事態に直面することを甘受せよと要求する面のあることを否定できない。しかしながら、前述のような手術をしないことの不利益とこれを実施することの利益との圧倒的な衡量上の大差及び手術をすることの緊急的必要性とに思いを致すならば、仮に医師の説明に十二分に意を尽くさない点があったとしても、これをもって直ちに違法とはいえないと解するものである。

したがって、玉虫医師らが、本件気管切開術を施行するにあたって、原告及び李に対し、本件気管切開術に伴う生命等の危険について説明しなかったとしても、同医師らの行為に原告主張の違法性があるとまではいうことができない。

五よって、その余の点について判断するまでもなく、原告の請求は理由がないからこれを棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官岡光民雄 裁判官竹田光広 裁判長裁判官古館清吾は転補のため署名捺印することができない。裁判官岡光民雄)

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